くるくると私の髪の毛を弄っていた手は急にぴたりと止まって、髪の毛からするりと抜けた。だからといって其方を向く訳でもなく、私は仁王がゴソゴソと布団に潜る音を聞きながら仁王が先程まで吸っていた吸殻に目線を落としていた。

「煙草吸おうかなあ」

暫くの沈黙を破り私が口を開くと仁王はごそりと布団に入ったまま此方に身体を寄せた。そして背後からやんわり私を抱きしめた。驚いて体がびくりと跳ねた事に対して仁王は小馬鹿にしたように鼻で笑った。

「なんで?」

小さな少し掠れた声が耳元で消える。それだけで私の心臓は跳ね上がり、体中が熱を帯びる。何度会っても、仁王が当たり前にならない。今まで付き合ってきた人は数人居たけれど、こんなに好きになれたのは仁王だけだ。

「なんとなく、仁王も吸ってるし」
「やめときんしゃい」
「なんで?」
「俺がいや」

そういって、こてんと仁王は首を折り私の肩に乗せた。緊張しすぎて後ろから回り込んでいる男のわりに細くて白い腕を握り返すことすら出来ない。 私はどうしていいか分からず未だに吸殻を見ていた。灰皿にはキツいメンソールの外国煙草と、ロゼの煙草の吸殻が山積みになっている。隣に置いてある存在感のある高そうなジッポは恐らく彼女からのプレゼントだろう。

私は思い出したようにずっと言いたかった事をなるべく明るい口調で訊いた。

「あと3日で2年なんだよね」
「何で知っとんの」

声のトーンが下がって一気に色を失った。仁王は必ずと言っていい程彼女の話をしたら怒る。だからといって彼女が嫌いだとかそういう訳ではない。それは私が悲しいくらいに痛感している事だった。

「だって」
「誰からそんな事こそこそ聞いとるんじゃ」
「誰とかそんな事関係ある?」
「聞きたいことがあるなら俺に聞けばええじゃろ」
「私だって聞きたくて聞いた訳じゃない!」

彼女の事なんて聞きたくて聞いた訳じゃない。仁王の噂なんて聞きたくなくても沢山耳に入ってくる。聞きたくも無い彼女との噂を何も知らない顔をして聞く辛さを知らない仁王にこんな風に言われたくなかった。

するりと腕から抜けると仁王は少し面倒臭そうな顔をしていた。仁王の顔を見るまでの怒りは焦りに変わり私は一気に冷静になる。 嫌われたかもしれない。今すぐ謝って先程までの雰囲気に戻りたい。面倒だと思われたら私は終わりだ。不安ばかりが頭を過ぎる。仁王は私が居なくなったとしても彼女が居るけど、私は仁王が居なくなると何も無い。私には何も残らない。彼女より仁王を想っていたとしても彼女になれない事は最初から理解している。なのに私はどうしようもなく不器用で仁王のように割り切ることが出来ない。


喉の奥で何かが詰ってるみたいに声が出にくくて、振られる事を考えれば考える程ぼろぼろと涙が流れた。仁王の前でこんな風に泣くのは初めてだった。

「・・私は、仁王みたいに遊べないよ」

やっとの思いで絞り出した涙声は、届くか届かないほどの小さな声だった。大きな手が私の頭を撫でる。知っとるよ、と言いながらまた私を抱きしめた。

「遊びなつもりはないぜよ」

本気じゃ、と付け足して腕に力が篭る。締め付けられる体がいやに空しくてまた涙が零れた。
分かりきっている嘘を吐かれる度に虚しくなるのに、滅多にない甘い言葉に胸を高鳴らせてしまっている私は救い様のない馬鹿だ。

「本当?良かった。・・・嫌われたかと思った」

私はいつからこんなに嘘が上手くなったのだろう。
嘘だ。嘘ばっかりだ。



溺れる手前

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