水滴がキラキラと光るコップの中に入った見るからに苦そうな真っ黒のアイスコーヒーを体内に運び、堂々と彼はファミレスの中で煙草に火を付けた。三十前後のウェイトレスは怪訝そうな目で彼を見ながら隣の客にメニューを渡している。そんなウェイトレスの視線にも気付かずふう、と彼が吐き出した煙は、ゆるゆると効きすぎている冷風に乗って私の顔面に直撃した。私は食べかけのパフェから手を離し、わざとらしく咽た。

「せめて甘いもの食べてるときぐらいやめて欲しい」
「あ。すまん」

彼はすんなり謝罪の言葉を述べまだ随分残っている煙草を元から用意されていた灰皿に押し付けた。

「それに、さっきウェイトレスさん見てたし、学校にばれたら停学だよ」
「その間部活休めるんじゃったらそれもええのう」
「もう」

仁王と付き合い始めた頃。私はこんなに平凡な放課後デートが出来るとは思って無かった。仁王に対して勝手なイメージがありすぎたせいか、これから苛められるんだろうとか、先輩に呼び出されるんだろうとか、皆から妬まれて友達も居なくなるんだろうとか、そういう覚悟を決めていた。私が勝手にそんな風に思い込んだのは、彼があらゆる噂を持っていたからだ。年上の彼女と暮らしているとか、彼女が何人もいるとか、友達の女にも手を出すとか。彼に纏わりついていた噂は女関連のものばかりだった。

「仁王ってさあ」
「ん」
「意外と平凡だよね」
「は?」
「いや、嫌味じゃないけど。仁王と付き合ったら波乱万丈なもんだと思ってた」
「苛められたり先輩に呼び出されたり?」
「そうそう、まさにそんなの」
「漫画の読みすぎじゃ」

仁王は口の端をあげて馬鹿にしているように笑った。
実際付き合い始めて3ヶ月の今、そんなことは一度も無かった。別に呼び出されもしないし、虐められる事も無い。羨む友達は居たけれどそれぐらいだった。裏で何を言ってるか知らないけれど、取り敢えず私が直接被害を被ることは今のところ無い。噂の件は後から聞けば、事実もあるものの殆どが噂が一人歩きしたようなものらしい。現に彼は親と住んでいた。年上の女と暮らしているなんてどういうきっかけで流れたのか本人すら不思議がっていた。

恐らく学校の半数の人はさっきの噂にプラスして「クールで、よく分からない人」というような人物像を仁王に対して抱いている。少なくとも私の周りの友達らはそう思っている。私も付き合うまではそうだと思っていた。今、目の前でくちゃくちゃに縮こまったストローの袋に水を垂らして遊んでいる男を学校の皆が見ればなんと思うだろう。皆が思っているよりも彼はよっぽど普通の高校1年生だ。

「いやーほんと漫画みたいになると思ってた」
「じゃあお前さんは悲劇のヒロインといったとこか」
「まさしく」
「お前さんがヒロインとか、事件じゃ」
「何それ!ひっど」

環境を除いても平凡だった。初めて行ったデートは海だった。そこで初めて手を繋いでキスをした。帰り道の電車で夜の海が好きだと言ってて、確かに似合うと思っていたのを鮮明に覚えている。2目デートで彼の家に行った。無機質な彼の部屋には最低限のものしかなくてやたら広く感じた。3回目のデートで買い物したあと彼の家にお持ち帰りされた。それからは同じような日が繰り返されている。こっちのがよっぽど漫画のようじゃないのかと思ったけど、これが一番幸せな気がした。

「お前さんは」

赤と青のストライプのストローでカラカラと氷を鳴らした後、睨む様に此方を見て彼は言葉を紡ごうとした。私の話をする前振りに思わずぎくりとして彼の目をじいっと見つめた。

「思ったとおりじゃの」
「えー、何それ溜めといて!」
「やって本間に思ったとおり」
「思ったとおりって何よ」
「毎日飽きんし、楽しいぜよ」
「え、あ、あぁ・・」
「何、お前さんが言えっつうたのに」
「いや、褒め言葉が来るとは思わなかったから・・・」

仁王はなかなか感情を表に出さない性格だし、自分の事は話さないから3ヶ月付き合ってこういう類のことを面と向かって言われるのは初めてだった。好かれていないと思っていた訳ではなかったが、不安に思うことは多々あった。だからこんな風に言われるのは素直に嬉しかった。慣れない空気に照れ隠しにパフェをぐしゃぐしゃとかき回すと「汚い食べ方すんじゃなか」と仁王は余裕のある笑い方をした。

「今日この後どうする?うち来るか?」
「え、ん〜どうしようかな、眠い」
「うちで寝たらええじゃろ」
「んーじゃあ行く」






(2010/8/13)


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