今まで短い人生だけど生きてきた中で存分に愛されていると実感したことは無かった。友達からも親からも嫌われていないことや大切に思われてることはそれなりに理解しているけれど、違う。友達には私以上に仲の良い友達がいて、親は出来のいい姉を誰よりも愛していた。寂しくはあったけれど不満に思うことは無かった。周りの誰より特化したものが何ひとつ無い私を無条件に一番に愛してくれる人なんて居ない事が当たり前だと自分でも納得する事が出来たから。それに、諦めることと期待をしないことは昔から得意だった。 そんな私を愛してくれる人が現れた。丸井ブン太。 友達から「を紹介してほしいって言ってる友達がいる」と言われ、アドレスを教えたのがブン太との出会いだった。メールを繰り返すようになって、何度か一緒に遊んで告白された。最初は紹介なんて…と思っていたけれど一緒にいて楽しかったし、気を使わせない雰囲気がとても楽だった。告白されて初めて素直に嬉しいと思えた。 「私でよければ」 「え、マジで?」 「うん。ブン太と付き合う」 「絶対無理だと思ってた」 「何で?」 「超脈なしっぽい感じだったから」 「そんなつもりは無かったんだけど。ごめん」 「いや、全然オッケー。俺、ずっとお前のこと好きだったよ」 「それすごく大げさ」 「いやマジで!超嬉しい」 ブン太は笑って私を抱きしめた。人から抱きしめられるのなんて初めてでどうすればいいか分からなかったけれどドラマや漫画で見たように私はそっとブン太の背中に手を回しほんの少しだけ力を込めた。照れくさくて、眩暈がする程甘くて、なんだかその甘ったるい雰囲気に自分がそぐわない気がして気持ち悪かった。でも、絶対に手放したくないと思った。 人気者のブン太だから友達から批難されそうでそれだけが心配だったけれど案外周りは祝福してくれた。友達の「大事にしてもらうんだよ」という言葉がなんだか擽ったくて、でも嬉しかった。誰かに大事にしてもらえる。その事実が嬉しくて仕方がなかった。 付き合いだしてからは一ヶ月、半年、一年と今までの生活とはまるで違うスピードで過ぎていった。喧嘩する事だって嫉妬する事だって本当に少女漫画のようにあったけれど、その中で幸せということはこういう事なんだとブン太が身を以て教えてくれた。 「私、多分人生で今が一番充実してる」 「俺も」 「えー本当?ブン太は沢山の人に好かれてるからいつでも幸せそう」 「からしたら俺ってそんな風に見えんの?」 「うん。あ、悩み事なさそうとか、そういう事じゃなくってね」 「いや、分かってるし。そうじゃなくてお前考えすぎ」 「だって、ブン太は私といて楽しいの?」 「楽しいから一緒にいるに決まってんだろ?お前そういう考えすぎるとこ直したほうがいいって」 「ありがとう。ブン太は優しいな」 ブン太は別に優しくねーよと言って私の頬を一撫でしてからキスをしてきたので、らしく目を閉じてブン太の首の後ろに手を回した。私の口内で蠢くブン太の柔らかな舌はブン太と仲のいい友達だって、ブン太に好意を寄せている女の子だって、ブン太のことを一番に思っている家族だって知り得ない、私だけの特別な感触。私はまたこうして幸せという言葉の意味をブン太から学ぶ。 唇を離すと、ブン太は「心配しなくてもが一番だし」と、私がずっと一番に欲しかった言葉をくれた。ブン太はいつだって私に期待以上をくれて、いつだって私を手放さないでいてくれる。 付き合いたての頃の不安はやっと自信に変化し始め、幸せは私が少しでもぐらつくとこぼれ落ちてしまいそうなほどに満ちていた。 それからブン太とは2年続いた。その2年の間に沢山ブン太と私のことを知った。 ブン太は嘘を吐くのが下手なこと。私は案外面倒な女だったこと。ブン太は感情の起伏が激しいこと。私は自分が思っているほど意思の強い人間ではないこと。ブン太は変なところで気を使う癖があること。人を愛すということ。そして、私の思いの半分もブン太はもう私のことを愛していないというどうしようもない事実。 「ブン太、話聞いてる?」 「んー?聞いてる聞いてる。なんか友達がどうのこうのだろ」 「どうのこうのって」 「いや、友達の話とかされても知らねーし、まずそれ誰って感じなんだけど」 昔は私のどんなにくだらない話でも興味を持ってとても楽しそうに聞いてくれた。私に興味を持ってくれているブン太の姿勢が愛されているのだという自信に直結していた。なぜこんな風になってしまったのだろう。私の気持ちはぶれる事なくブン太だけだった。この二年間いつだってブン太という存在だけが私を捉えて離さなかった。なのにブン太はがっちりと握っていてくれた私の手を少しずつ放そうとしている。今まで隙間を感じることなんて一度も無かったのに、今ブン太と私の間には誰かがすんなり入り込める程に大きな隙間が空いてしまっている。 「・・・ごめん」 「いや、謝らなくていいけどさ」 「怒ってるの?」 「別に怒ってねーよ」 それでも私はまだブン太に生かされている。回数は随分減ってしまったけれどまだ会ってくれるし、私がメールを送れば前ほどの丁寧なメールではないけれど一応返事だってくれる。セックスが終わった後には好きだと言ってくれる。私はその僅かな希望に縋らずにはいられない。 「そういえば」 「ん?」 「もうすぐブン太お誕生日だけど、バイト休みとれそう?」 「取れると思う、つーか誕生日まで働きたくねーし。さすがに休む」 「うん、よかった。じゃあ私も休み希望とるね」 「あー。まあ無理そうなら無理でいいけど」 せっかくの誕生日をブン太はさほど私に祝って欲しくなさそうだった。ブン太からすれば誕生日を楽しむことが出来れば其処に私が居なくても、きっとそれで良いのだろう。例え私の休み希望が通らなくて祝うことが出来なかったとしても、きっと祝ってくれる人は沢山居る。私がブン太から貰う幸せはブン太以外から貰うことなんて絶対出来ないのに、私がブン太に差し出す事が出来る幸せはとても有り触れていてつまらない。 「一緒にお祝いしないの?」 「無理なら仕方ねーじゃん。お前のバイト先、人いないみたいだし」 「そうだけど…」 「まあ決まったら早めに言って」 愛されたい。無条件に私を一番に愛して欲しい。 私は付き合う前と同じように願うようになった。昔と変わったことは、対象が誰かでは無くブン太に変わったことと、それを色濃く期待してしまっていることだった。 「うん。でも絶対休みとる。だってせっかくのお誕生日だし」 「おーマジか」 「プレゼント何か欲しいものある?」 どうにか引き止めたいのにどうすれば良いのか見当もつかない。どうすればブン太が昔の様に私を愛してくれるのか。最善があるのなら教えて欲しい。もし知ることができたなら私はその通りに動く。ブン太がそれで私の傍に居てくれるなら私のプライドや意思なんてどうだっていい。何だっていいからお願いだから誰か教えて欲しい。 「グッチの時計欲しい。超高いけど」 「分かった」 「うそ?マジで買ってくれんの?ラッキー」 今日初めてブン太が笑った。ブン太がまだ私に笑いかけてくれる事に心底ホッとした。 こんなにも必死になってひとりの男に縋る私は馬鹿で惨めだ。そんな事は自分でも分かっているけれど、もう私は馬鹿だろうが惨めだろうが情けなかろうが何だっていい。 「うん。ブン太が欲しいならそれにする」 私はグッチの時計でどれだけの間ブン太を引き止めておくことが出来るのだろう。 |